狐の座敷牢

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zoom RSS さらに暴走する観覧車

<<   作成日時 : 2009/07/19 23:55   >>

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海月です。

相変わらず熱帯がない時はニコ動見てポケモンの話書いてとかそんな感じです。
というわけでポケモンの話を書く系の仕事があるので今日の分は簡潔に。


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東方ネタにも飽きてきたのでアンナさん。
このCNにするとネタのパターンは限られてきてしまうんだけどとりあえずまた飽きるまでこれで。


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最近例の場所に出現しているらしい例の人。

行動パターンがある者に似てる感じだったので低難易度を投げたら最初返り討ちにあった。
第2ラウンドでは何とかまくり返し逆転勝ち。35〜40あたりでおジャマ抜きにしてやったら面白いことになりそうな予感。


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最近DJにはトゥイートばかり投げてる気がしなくもなし。

顎Vとか非常にアレだから今度はなにかすごい嫌がらせみたいなのを選んで投げたい(←
でもそんなのあるのかね?w



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お  前  が  なww

99k乗る可能性があるとすればNよりHのほうが早そうではある。
そろそろ7速で挑戦してみるか。



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結局面倒くさいのでポエットはポエットのままで。青ぽえ。


以下余談。
本気で長い三国志の話なので興味がなければブラウザバックしてちょうだい。



変態記IIIを見てると、時々特定の人物をやたらこき下ろす点が目に余る。具体的に言うと、虞翻だな。
そこだけ無視すれば十分にお釣りがくるぐらい楽しめるのだが、折角だしここでちょっとネタにさせてもらおうかね。


関 羽についてはある時期からそれほどいいイメージはないのだが、それを差し引いても確かに麋芳が凡将、あるいは小悪党呼ばわりされるのは何か違うような気はする。
確かに彼の降伏により関     羽の運命は決まってしまったように思えるが、彼には反意を抱く最も過ぎる理由がいくつもあった。度々反目はしていたようであり、しかもわずかな過失を理由に処罰し、留守居に留め置いて「帰ってきたらこいつは殺す」でしょ?
普通の神経じゃそんな奴に大人しく従っているほうが異常

ましてや麋芳、曹操や呂布により劉備が徐州から追われた時も、その後の流浪生活もずっと劉備たちと苦楽を共にしている。
裏切るタイミングはいくらでもあったし、何より元々徐州の豪族出であり、陳登みたくその地の有力豪族として曹操に従う選択肢もあったはずだ。
挙句、彼が劉備に与えられた南郡太守のポストは、周瑜や呂蒙、朱然といった名将たちがついたことを考えれば決して軽くないどころかむしろ荊州防備の最重要ポストである。その意味でいえば、関羽に匹敵する重要な立場にあったはず。
さらに興味深いのは、降伏後も孫権からは将軍として厚遇されている。無能どころか、とんでもない名将であった可能性もあり、そうでなくてもひとかどの将帥であったことは間違いないだろう。

さて、それを説得し降伏させたのは虞仲翔。
しかし、彼は降伏後の麋芳に対し辛辣に過ぎるというより、むしろ全力でイジめに走っている様子が見て取れる。
こうした行動をDQNと決めつけるのも当たり前、のように感じるが、果たしてその見方だけが正しいのかと言われれば大いに疑問が残る

孫権はなにゆえか降将に対してめちゃくちゃ甘い。
麋芳、于禁、潘濬などの例を上げずとも、公孫淵の節操無い二股外交に幾度も悩まされているのは、その甘さゆえに他ならないだろう。
麋芳が、荊州時代の冷遇っぷりから一転しての厚遇ぶりに、わずかでもいい気になっていたのではないかという解釈はないだろうか?

変態記IIIの主役とも言えるカク先生も曹操についてからは、私生活では慎み深く暮らしたという。
しかし、虞翻にこき下ろされた時のシチュエーションから、降伏後の麋芳が慎み深く行動していたとは言い難い点がある。堂々と船を渡して、我が物顔に行動するなど、流石にどうかと言わざるをえまい。
新参、ましてや降将の分際で、という感情は、虞翻ならずとも抱いていた者は多かったのではないか? たまたま、虞翻が皮肉屋というエピソードが多かったため、彼の話ばかりが後世に残ってしまっただけか、あるいは麋芳がその行動故孫呉陣営から総すかんを食っていた可能性だってなくもない。

虞翻にしても、常に悪口雑言を振りまいていたわけではあるまい。むしろ虞翻伝を良く読むと、孫権の政権下では古代欧州の宮廷道化師みたいな役割を己に課していたのではないか?と思えるフシが見受けられる
あえて毒を吐くことで、孫権その他の行動を正そうとしていたのではあるまいか。なにしろ江東・江南の連中は、ストッパーがいないと果てしなく暴走するならず者の集団に等しいところがある。孫策が若くして横死したのを見ているから、同じ過ちを孫権にさせたくなかったという思いは、あったかも知れない。

于禁も思い切り毒を浴びせられた一人だが、彼は魏国に帰還して後、虞翻の人物とその気骨を褒め称えたという。
それを嫌味と見るのは簡単だが、ならば敵対する可能性がある相手の臣を称賛するというのが解らない。賞賛されるべき人格者というなら、陸遜や顧雍、諸葛瑾などもいたはずだろう。やはり、虞翻という人物にはそれを言わせるだけの何かがあったと思える。

そして何より、同じ時期の降伏組である潘濬がこき下ろされたりという話は聞かない
潘濬はキチンと節度を守り、孫権に決しておもねらず、たびたび苦言を呈してその行動をただしたことが彼の伝からうかがえる。
その点から、やはり人物的な面で麋芳と潘濬には大きな差があったことは否めない。まして将帥としても政治官僚としても、潘濬は多大な功績をあげている。

麋芳は夷陵の戦いの直後の魏の侵攻に対しても主要な将として参加しており、目覚ましい活躍をしたわけではないものの、やはりこういう重要な戦役において駆り出されるあたりは将帥として優れていたからであろうが…実力があっても、やはり降将として慎むべきところを慎めなかった点があったのではなかろうか。
こう考えると関☆羽のせいで麋芳が無能の小悪党扱いをされるのは大きな過ちなのは確かだけど、虞翻がまるっきりDQNでKYだと断言するのは見当違いもいいところではないのかね?


まぁ何が言いたいかっつーと、人間の一面しか見てないと面白いことなんて何にもないよ、ってお話。


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コメント(2件)

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何故だっ・・・謙虚なコメントにしたはずなのに・・・!(←

そろそろネタが無くなりつつある今日この頃。
20文字じゃ少ないです・・・

>レイニー七速
8速でやっている自分は隙だらけでした。
7速でやったら道中滅茶苦茶調子良かったにもかかわらず、終盤の減速でグレが5個位出て深い悲しみに包まれた(←
影林檎
2009/07/20 18:19
済まない君のネタはとても扱い易いんだ(´・ω・`)(←

まあHSは人それぞれですし。
本当は6.5があれば良かったんでしょうけど…。
海月@管理人
2009/07/20 19:50

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